私物化される世界 ジャン・ジグレール 

私物化される世界―誰がわれわれを支配しているのか

私物化される世界―誰がわれわれを支配しているのか

 ジャン・ジグレール

豊島区立中央図書館 反復借り出し(おそらく今回の借り出しが6回目)

109p 国家の、特に民主国家の威力は何によって構成されるのか? わけても、国家が具現する理念は何によるのか?
 社会階級の利害がたがいに衝突する階層社会にあっては、民主的な国家は各個人間の従属的な相互依存という不均衡を税の再分配や社会保障などのメカニズムによって緩和し、この不均衡を多少なりともならそうとする。市民の側は、国家の諸施策から実際の利益を引き出せる程度に応じて、国家に、国家の規定に、国家の決定手続きに同意を与える。国家が市民に安心感を与えず、市民に最低限の社会的安定と収入を、さらに計算しうる将来を保証せず、市民の道徳的な新年に合致する公共秩序を保障しないならば、その国家は没落する運命にある。西側のさまざまな国々ではすでに、公共輸送手段、郵便、電信電話が民営化されている。いまや民営化の第2波が準備されている。小学校およびそれに続く種々の学校、大学、病院、刑務所、それどころか警察までもがその対象となる。

 国家が自発的に国家の本質をなす公共サービスを解体し、集団の利害にかかわるすべての任務が民間部門に委譲されることによって利潤最大化の法則に屈するならば、その国家はーーエリック・ホブズボームの表現を用いるならばーー「失敗した国家」(failed state)であり、国家として破綻しているのだ。

 こうなると、市民の目には、国家の価値はゼロに近い。

 過剰な個人競争、不確実な雇用、危機に瀕した社会状態、業績による賃金、これらを生み出す(しかも歓呼して迎えられる)経済は、不安を生み出す経済である。

 無防備で社会の大きなリスクにさらされる市民は、市民としての特性を失う。絶えず自分の職場、賃金、権利のことを心配しなければならない人間は、もはや自由な人間ではない。

 国家の民営化は、人間の自由を破壊し、市民としての権利を壊滅させる。
 
 青白い顔、おどおどした目をして、腹をすかし、汚い襤褸(ぼろ)を身にまとって、イーリャ・ド・ゴベルナドールのガレオン空港とリオデジャネイロの西武郊外を結ぶ高速道路の橋の下に横たわっていたひとびとの姿を思い起こすと、ショックがよみがえる。旱魃(かんばつ)と大地主の横暴を逃れてブラジル北部の州からここへ逃げてきた移住者だった。「フラゲラードス」の家族である。昼間は、食物もなく、将来もなく、人間としての尊厳を失って、メガロポリスの路上をあてもなくさまようーーあたかも駆り立てられる動物のように。夜になれば、憲兵隊から脅され、殴られ、ときには射殺される。

砂漠化と貧困の人間性―ブラジル奥地の文化生態

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 9月14日 早朝 駒込図書館にて返却