十数年後かに、自分の棺おけに入れて恥じないもののみ記述、反芻する。これがネットにおける今後の基準 (1)

十数年後かに、自分の棺おけに入れて恥じないもののみ記述、反芻する。これがネットにおける今後の基準 (1)


悩む人間の物語
1)人生に目的をもつとはすなわち何かを決意することだ

2)それにこれはあなたの側の問題なんですから。そういうふうな生き方をご自身で選んだのだから、自分がしているのがどういうことか、おわかりのはずですよね。

3)自分の人生に平穏が訪れるのを希求し続ける。

4)「この人と出会った」と思っていても、それはただの幻想。私たちは相手の中に、自分が求めているものを見ているだけ。ふたりの人間がどうにかしてほんとの意味で「出会えた」としても、それでも埋められない距離はある。自分のすべてを互いに見せ合うなんて、所栓は無理な話だ。私たちは結局、自分自身と会っているだけなのだ。孤独をこの世からなくすなんて誰にもできっこない。

 とはいいつつもあなたは、自分の目で「筋の通った人間」と認められる誰かに出会いたいと願っている。けれど、それは相手と「ひとつに融けあう」ためではない。自分とはまったく違う性質をもつ誰かだ。そうした相手とならば、互いに「それぞれにとっての真実を見つけられる」と思うからだ。加えて自立した人間であることも、必要条件のひとつだ。

5)私は昔、幸福はほかの人のやり方を真似ることで手に入ると思っていた。でもそれは間違いだって気がついた。幸福になりたければまず、自分という人間を信頼することから始めなくてはいけない。誰もが薄々それに気がついている。私たちが何より望んでいるのは、「自分自身に出会うこと。そうしなければ、他者にも出会えはしないのだから」。言い換えれば、皆自分の能力を自分で認識したいと思っているのだ。

6)「この世には人の数だけ真実がある」「どんなに辛くても、現在を生きる術を学びなさい。現在は過去の自分によって決定されるのだから」「自分自身に耳をかたむけなさい」「自分の殻に閉じこもっていてはだめ」「他人のいうことにも耳を傾けて」

7)自分の人生の新しいページをめくる決意をするとき、かならずあらわれるふたつの問題がある。ひとつは、どうやって過去の習慣を捨てるかという問題。そしてもうひとつは、「自分は悪い(あるいは良い)星のもとに生まれついた。どうしたってそれは変わらない」という思いこみをいかに打破するかという問題だ。紀元10年、ローマ帝国支配下にあった北アフリカの一市民は次のような言葉を残している。「運命が世界を支配している」。「人間、どんな終わりを迎えるかは始まりによって決まる。この世に生まれ落ちたときから、富や権力を持つべき者はもち、持たざる者は持たない。技量も性格も、人生のはじめからもう決まっている。・・・自分が与えられたものを拒むことはできないし、逆に、自分に与えられなかったものを得ることもできない。どんなに祈りをささげても、自分に与えられなかった幸運をつかみとることはできない・・・人はみなそれぞれの運命を甘受しなければならないのだ」表現する言葉こそ違え、この概念は現代もなお、私たちの中に息づいている。
 古くからの通念が現在までなぜこうも幅をきかせているのか、それらにどう向き合うべきかを考えるには、この占星術という、あらゆる思想の中でも最古のひとつを子細に観察することがおそらく役に立つ。占星術は、誤った予言を度重ね、さらには宗教や科学や国家から繰り返し糾弾されてきたにもかかわらず、けっして根絶やしにはならなかった。これが物語るのはすなわち、新しい考えをとりいれるだけでは、人々の行動を変えるには不十分だということ、古くからの考えはそう簡単に根絶やしにはならなかった。