1.「神様はつらい」より引用

1.「神様はつらい」より引用

知識人プダフとルマータとの会話


「人間の本質は、どんなことにも慣れてしまうという驚くべき能力をもっているということですね」とプダフはゆっくりと噛みながらいった。「人間がなれることのできないものなんて自然界にはありません。馬だって、犬だって、ねずみだって、このような特性はもっていません。おそらく、神様は、人間を創るにあたって、人間がさまざまな苦しみに出会う運命にあることを推しはかって、人間にこのように大きな忍耐力の貯えをさずけたのでしょう。それが良いことか悪いことかはわかりませんけどね。もしも人間にそのような忍耐力がなかったら良い人間は1人残らずとうの昔に死に絶えてしまって、この世には、魂をもたない悪い人間ばかりになっていただろうと思いますよ。だけど、別の面から見れば、堪えしのび、順応するその習慣のために、人間は言葉をもたない家畜同然になってしまって、解剖してみないかぎり、動物と少しも違いがなくなってしまいます。あるいは、たよりないという点では動物以下かも知れません。日があらたまるごとに、悪と暴力の新しい恐怖が生まれていますからね……」

 ルマータはキーラを眺めた。キーラはプダフの真向かいに座り、こぶしで頬をささえて、まばたきもせずに聞き入っていた。彼女の目は悲しげであった。人びとがかわいそうでたまらないのに違いない。

 「プダフさん、あなたのいう通りかも知れない」とルマータはいった。「しかし、私を例にとりましょう。この私はありふれた貴族にすぎません(プダフの広い頬にしわが寄り、その目は驚きと喜びをあらわして丸くなった)。私は学問のある人が大好きです。そういう人は魂の貴族ですからね。しかし、私にわからないのは、あなたがたのように、高い知識をそなえ、そのような宝の唯一の持ち主たちが、そのようにどうしようもないほど消極的なのか、ということです。どうしてあなたがたはそのように黙々として軽蔑に身をゆだね、牢獄におもむき、焼き殺されることに甘んじているのですか?どうしてあなたがたは、知識の獲得というみずからの生活の意味を、悪に対するたたかいという実生活の要求から切り離しているのですか?」

 プダフは空になったピローグの皿を遠くへ押しやった。「ドン・ルマータ、あなたはおかしな質問をなさいますね」と彼はいった。面白いことに、私たちの君主の寝殿官をしているドン・グークもそれと同じ質問をしましたよ。あなたは彼と知り合いですか?そうだろうと思いましたよ……悪とのたたかい! しかし、悪とは何ですか? みながそれをまったく自分勝手に解釈していますよ。私たち学者にとっては、悪とは無知のことですが、教会は、無知こそが善であり、悪はすべて知識から生まれてくるものだと教えています。農民にとっては、悪は税金や旱魃のことですが、穀物商人にとっては旱魃が善なのです。奴隷にとっての悪は酔っ払いで冷酷な主人であり、手工業者にとっては貪欲な高利貸しなのです。とすれば、ドン・ルマータ、たたかうべき悪はそのうちのどれなのですか?」プダフは悲しげに聞き手を眺めまわした。「悪を無くすことはできません。この世の悪を少なくすることはどんな人間にもできません。人間にできることは自分の運命をいくらか良くすることぐらいですが、それですらかならず他人の運命を悪くするという犠牲をともなうのです。残忍さの程度はさまざまでも、国王はいつもいるのだし、粗暴さの程度は違っていても男爵は男爵として生きつづけますし、そして民衆はいつまでも無知で、抑圧者に対しては感嘆を、自分らの解放者に対しては憎しみをいだき続けるものなのです。それというのも、奴隷は、たとえそれがいかに残忍な主人でも、自分らの主人の方を、自分らの解放者よりもよく理解しているからです。なぜなら、どんな奴隷でも、自分を主人の立場に置いて考えることはたやすいのですが、自分を無欲な解放者の立場に置いて想像することは非常に困難だからです。人間とはそういうものですよ、ドン・ルマータ、それに、私たちの世界はそういうものなのです」

「しかし、世界はたえず変わっていますよ、ドクトル・プダフ」とルマータは言った。「国王なんかいなかった時代だってあるのですからね……」

「世界が永遠に変わりつづけるなどということはありません」とプダフは反対した。永遠のものなんて何もありません。変化にしても同様ですよ……私たちは完全さというものの法則は知りませんが、その完全さは遅かれ早かれ達成されるでしょう。早い話が、私たちの社会の仕組みをごらんください。これこそ、幾何学的に整った、見た目にもきちんとした制度ではありませんか!一番下に農民と手工業者がいて、その上に貴族がいて、さらにその上に僧侶がいて、一番上に国王がいるのです。驚くほどうまくできた、安定感のある幾何学的な秩序ではありませんか!天の宝石細工師の手になるこのようにみごとな水晶であってみれば、一体そのなかの何を変える必要がありますか?ピラミッド型の建物以上に安定した建物はありません。そんなことは、いくらかでも知識のある建築家なら誰でも知っていますよ」プダフは念を押すように親指を立てた。「袋からこぼれ落ちる穀粒は、たいらな層にはならずに、いわゆる円錐型のピラミッドになります。おのおのの穀粒がお互いにつかまりあって下に落ちないようにしているのです。人間も同じことです。人びとも全体として何かしら完全なものでありたいと望むのなら、お互いに支えあって、必然的にピラミッドのようなものを作らざるをえないのです」

「まさかあなたはこの世界が完全なものだとは真面目に考えているわけではないでしょうね?」とルマータは驚いた。「ドン・レエバに会ったり、監獄を経験したからには……」

「若いお方。それはもちろんです!この世界の多くのものが私には気に入らないし、多くのものが変わって欲しいとは私だって思いますよ……だけど、どうしたらいいのです?上の人が考える完全さは、私が考えるものとは違うのです。木だって、もしも動くことができたなら、木こりの斧から全力で逃げ出したいと思うでしょうけれど、現実には、その木が自分は動けないと嘆いてみたところで何の意味がありますか?」

「もしも宿命を変えることができるとしたら、どうします?」

「そんなことができるのは天の力だけですよ……」

「しかし、もしあなたが神になったと仮定したとしたら……」

プダフは笑い出した。

「もしも自分が神だと仮定してもかまわないなら、私は喜んで神になりますよ!」

「だけど、もしもあなたが神に助言できるとしたら?」

「あなたはなかなか想像力が豊かですね」プダフはうれしそうに言った。「それは良いことです。あなたは読み書きができますか?それはすばらしい!私は喜んであなたとおつき合いしますよ……」

「お世辞は結構ですよ……ところであなたは全能の神に一体何を助言しますか?あなたが、これこそすばらしい立派な世界だ、ということができるようになるためには、全能の神は何をしたらいいのでしょう?……」

 プダフはわが意を得たりといわんばかりにほほえんで、椅子の背にそりかえり、腹の上で両手を組み合わせた。キーラはむさぼるようにプダフを見つめていた。

「わかりました」とプダフは言った。「私だったら全能の神にこう言ってやります。『神様、私はあなたの計画を知りませんが、もしかすると、あなたは人間を善良で幸せなものにしようとは望んでいらっしゃらないようですね。ですが、それを望んでください!それは簡単にできることです。人々にパンや肉や酒を思う存分与えてください、人びとに牛や衣類をふんだんに与えてください。そうすれば飢えや苦しみがなくなり、人々を分けへだてている垣根もすべてなくなってしまいます』」

「それだけですか?」とルマータはたずねた。

「それだけは不足だというのですか?」

 ルマータは首を振った。

「神様はあなたに答えるでしょう。『そんなことをしても人々の利益にはなるまい。なぜならば、なんじの世界の強き者たちは、私が与えたものを弱き者から取り上げてしまって、弱き者たちは相変わらず貧しいままにとどまるだろうからだ』」

「私は弱きものを護るように神様にたのみますよ。『冷酷な支配者を啓蒙してくださいませ』と私は言いますよ」

「冷酷さは力だ。支配者は冷酷さを失うことによって、力を失ってしまうのだ。そうすれば、ほかの冷酷な連中が彼らにとって替わるだけなのだ」

 プダフの顔から微笑みが消えた。

「冷酷な連中を罰してください」と彼は力強くいった。

「強き者が弱き者に冷酷さを示すことができなくなるようにしてください」

「人間は生まれたときはみな弱い者なのだ。まわりにそれ以上強いものがいなくなったとき、その人間は強い者となる。強い者のうちに冷酷な者が罰せられるようになれば、弱い者のうちから強いものが出てきて、彼らにとってかわる。そして、その人間たちも冷酷になる。だとすれば、すべての人間を罰しなければならなくなる。私はそんなことは御免こうむる」

「神様、あなたは本当によく見通していらっしゃる。それなら、あっさりと、人々がすべてのものを手に入れて、しかも神様からいただいたものをお互いに奪い合わないようにしてください」

「それも人々の利益にはならないだろう」ルマータは溜息をついた。なぜならば、人々がすべてのものを、労せずして、無料で、私の手から受けとるようになったら、人々は労働を忘れ、生活の意欲を失い、私の家畜になりはててしまって、私はそれらの家畜に今後永遠に食料と衣類を与えつづけて行かなくてはならなくなる」

「一度にすべてを与えなければいいのです!」とプダフは熱っぽく言った。「徐々に、少しずつ与えればいいのです!」

「少しずつでいいというのなら、人間たちは自分の力で必要なものを手に入れていくだろう」

 プダフはきまり悪そうに笑い出した。

「たしかに余り簡単なことではなさそうだ」と彼はいった。「いままで私はそのようなことは考えてもみなかった……どうも種が切れてしまったようですね。しかし」と言ってプダフは身を乗り出した。「もう一つの可能性があります。人々が何よりも労働と知識を愛するようにしてください。労働と知識が人々の生活の唯一の生き甲斐になるようにしてください!」

 そういうことはわれわれがやはりすでに試みようとしたことだ、とルマータは考えた。大衆的な催眠による暗示、プラスの方向での精神変革。赤道上の三個の人工衛星からの催眠放射……

「それもできないことではない」とルマータは言った。

「しかし、人類からその歴史を奪ってしまっていいものだろうか? 一個の人類に別の人類をすげかえていいものだろうか? そのことは、地上から人類を一掃し、その後に別の人類を創りだすのと同じことではないだろうか?」

 プダフは額にしわを寄せて、黙って考えこんだ。ルマータは待っていた。窓の外では再び荷馬車が悲しげにきしり始めた。プダフは小声でつぶやいた。

「それなら、神様、私たちを地上から一掃してしまって、改めて、もっと完全な人びとをおつくりください…… でなければ、いっそ、私たちをこのままに放っておいて、私たちに自分の道を歩ませてください」

「私の心は憐れみでいっぱいだ」とルマータはゆっくりと言った。「私にはそんなことはできない」

 そのとき彼はキーラの目を見た。キーラは怖れと期待の入り混じった目を彼に向けていた。

 

世界SF全集 24 早川書房 絶版 1970年初版より

私物化される世界 ジャン・ジグレール 

私物化される世界―誰がわれわれを支配しているのか

私物化される世界―誰がわれわれを支配しているのか

 ジャン・ジグレール

豊島区立中央図書館 反復借り出し(おそらく今回の借り出しが6回目)

109p 国家の、特に民主国家の威力は何によって構成されるのか? わけても、国家が具現する理念は何によるのか?
 社会階級の利害がたがいに衝突する階層社会にあっては、民主的な国家は各個人間の従属的な相互依存という不均衡を税の再分配や社会保障などのメカニズムによって緩和し、この不均衡を多少なりともならそうとする。市民の側は、国家の諸施策から実際の利益を引き出せる程度に応じて、国家に、国家の規定に、国家の決定手続きに同意を与える。国家が市民に安心感を与えず、市民に最低限の社会的安定と収入を、さらに計算しうる将来を保証せず、市民の道徳的な新年に合致する公共秩序を保障しないならば、その国家は没落する運命にある。西側のさまざまな国々ではすでに、公共輸送手段、郵便、電信電話が民営化されている。いまや民営化の第2波が準備されている。小学校およびそれに続く種々の学校、大学、病院、刑務所、それどころか警察までもがその対象となる。

 国家が自発的に国家の本質をなす公共サービスを解体し、集団の利害にかかわるすべての任務が民間部門に委譲されることによって利潤最大化の法則に屈するならば、その国家はーーエリック・ホブズボームの表現を用いるならばーー「失敗した国家」(failed state)であり、国家として破綻しているのだ。

 こうなると、市民の目には、国家の価値はゼロに近い。

 過剰な個人競争、不確実な雇用、危機に瀕した社会状態、業績による賃金、これらを生み出す(しかも歓呼して迎えられる)経済は、不安を生み出す経済である。

 無防備で社会の大きなリスクにさらされる市民は、市民としての特性を失う。絶えず自分の職場、賃金、権利のことを心配しなければならない人間は、もはや自由な人間ではない。

 国家の民営化は、人間の自由を破壊し、市民としての権利を壊滅させる。
 
 青白い顔、おどおどした目をして、腹をすかし、汚い襤褸(ぼろ)を身にまとって、イーリャ・ド・ゴベルナドールのガレオン空港とリオデジャネイロの西武郊外を結ぶ高速道路の橋の下に横たわっていたひとびとの姿を思い起こすと、ショックがよみがえる。旱魃(かんばつ)と大地主の横暴を逃れてブラジル北部の州からここへ逃げてきた移住者だった。「フラゲラードス」の家族である。昼間は、食物もなく、将来もなく、人間としての尊厳を失って、メガロポリスの路上をあてもなくさまようーーあたかも駆り立てられる動物のように。夜になれば、憲兵隊から脅され、殴られ、ときには射殺される。

砂漠化と貧困の人間性―ブラジル奥地の文化生態

砂漠化と貧困の人間性―ブラジル奥地の文化生態

 9月14日 早朝 駒込図書館にて返却

十数年後かに、自分の棺おけに入れて恥じないもののみ記述、反芻する。これがネットにおける今後の基準 (1)

十数年後かに、自分の棺おけに入れて恥じないもののみ記述、反芻する。これがネットにおける今後の基準 (1)


悩む人間の物語
1)人生に目的をもつとはすなわち何かを決意することだ

2)それにこれはあなたの側の問題なんですから。そういうふうな生き方をご自身で選んだのだから、自分がしているのがどういうことか、おわかりのはずですよね。

3)自分の人生に平穏が訪れるのを希求し続ける。

4)「この人と出会った」と思っていても、それはただの幻想。私たちは相手の中に、自分が求めているものを見ているだけ。ふたりの人間がどうにかしてほんとの意味で「出会えた」としても、それでも埋められない距離はある。自分のすべてを互いに見せ合うなんて、所栓は無理な話だ。私たちは結局、自分自身と会っているだけなのだ。孤独をこの世からなくすなんて誰にもできっこない。

 とはいいつつもあなたは、自分の目で「筋の通った人間」と認められる誰かに出会いたいと願っている。けれど、それは相手と「ひとつに融けあう」ためではない。自分とはまったく違う性質をもつ誰かだ。そうした相手とならば、互いに「それぞれにとっての真実を見つけられる」と思うからだ。加えて自立した人間であることも、必要条件のひとつだ。

5)私は昔、幸福はほかの人のやり方を真似ることで手に入ると思っていた。でもそれは間違いだって気がついた。幸福になりたければまず、自分という人間を信頼することから始めなくてはいけない。誰もが薄々それに気がついている。私たちが何より望んでいるのは、「自分自身に出会うこと。そうしなければ、他者にも出会えはしないのだから」。言い換えれば、皆自分の能力を自分で認識したいと思っているのだ。

6)「この世には人の数だけ真実がある」「どんなに辛くても、現在を生きる術を学びなさい。現在は過去の自分によって決定されるのだから」「自分自身に耳をかたむけなさい」「自分の殻に閉じこもっていてはだめ」「他人のいうことにも耳を傾けて」

7)自分の人生の新しいページをめくる決意をするとき、かならずあらわれるふたつの問題がある。ひとつは、どうやって過去の習慣を捨てるかという問題。そしてもうひとつは、「自分は悪い(あるいは良い)星のもとに生まれついた。どうしたってそれは変わらない」という思いこみをいかに打破するかという問題だ。紀元10年、ローマ帝国支配下にあった北アフリカの一市民は次のような言葉を残している。「運命が世界を支配している」。「人間、どんな終わりを迎えるかは始まりによって決まる。この世に生まれ落ちたときから、富や権力を持つべき者はもち、持たざる者は持たない。技量も性格も、人生のはじめからもう決まっている。・・・自分が与えられたものを拒むことはできないし、逆に、自分に与えられなかったものを得ることもできない。どんなに祈りをささげても、自分に与えられなかった幸運をつかみとることはできない・・・人はみなそれぞれの運命を甘受しなければならないのだ」表現する言葉こそ違え、この概念は現代もなお、私たちの中に息づいている。
 古くからの通念が現在までなぜこうも幅をきかせているのか、それらにどう向き合うべきかを考えるには、この占星術という、あらゆる思想の中でも最古のひとつを子細に観察することがおそらく役に立つ。占星術は、誤った予言を度重ね、さらには宗教や科学や国家から繰り返し糾弾されてきたにもかかわらず、けっして根絶やしにはならなかった。これが物語るのはすなわち、新しい考えをとりいれるだけでは、人々の行動を変えるには不十分だということ、古くからの考えはそう簡単に根絶やしにはならなかった。

「神様はつらい」より引用

「神様はつらい」より引用
知識人プダフとルマータとの会話

「人間の本質は、どんなことにも慣れてしまうという驚くべき能力をもっているということですね」とプダフはゆっくりと噛みながらいった。「人間がなれることのできないものなんて自然界にはありません。馬だって、犬だって、ねずみだって、このような特性はもっていません。おそらく、神様は、人間を創るにあたって、人間がさまざまな苦しみに出会う運命にあることを推しはかって、人間にこのように大きな忍耐力の貯えをさずけたのでしょう。それが良いことか悪いことかはわかりませんけどね。もしも人間にそのような忍耐力がなかったら良い人間は1人残らずとうの昔に死に絶えてしまって、この世には、魂をもたない悪い人間ばかりになっていただろうと思いますよ。だけど、別の面から見れば、堪えしのび、順応するその習慣のために、人間は言葉をもたない家畜同然になってしまって、解剖してみないかぎり、動物と少しも違いがなくなってしまいます。あるいは、たよりないという点では動物以下かも知れません。日があらたまるごとに、悪と暴力の新しい恐怖が生まれていますからね……」

 ルマータはキーラを眺めた。キーラはプダフの真向かいに座り、こぶしで頬をささえて、まばたきもせずに聞き入っていた。彼女の目は悲しげであった。人びとがかわいそうでたまらないのに違いない。

 「プダフさん、あなたのいう通りかも知れない」とルマータはいった。「しかし、私を例にとりましょう。この私はありふれた貴族にすぎません(プダフの広い頬にしわが寄り、その目は驚きと喜びをあらわして丸くなった)。私は学問のある人が大好きです。そういう人は魂の貴族ですからね。しかし、私にわからないのは、あなたがたのように、高い知識をそなえ、そのような宝の唯一の持ち主たちが、そのようにどうしようもないほど消極的なのか、ということです。どうしてあなたがたはそのように黙々として軽蔑に身をゆだね、牢獄におもむき、焼き殺されることに甘んじているのですか?どうしてあなたがたは、知識の獲得というみずからの生活の意味を、悪に対するたたかいという実生活の要求から切り離しているのですか?」

 プダフは空になったピローグの皿を遠くへ押しやった。「ドン・ルマータ、あなたはおかしな質問をなさいますね」と彼はいった。面白いことに、私たちの君主の寝殿官をしているドン・グークもそれと同じ質問をしましたよ。あなたは彼と知り合いですか?そうだろうと思いましたよ……悪とのたたかい! しかし、悪とは何ですか? みながそれをまったく自分勝手に解釈していますよ。私たち学者にとっては、悪とは無知のことですが、教会は、無知こそが善であり、悪はすべて知識から生まれてくるものだと教えています。農民にとっては、悪は税金や旱魃のことですが、穀物商人にとっては旱魃が善なのです。奴隷にとっての悪は酔っ払いで冷酷な主人であり、手工業者にとっては貪欲な高利貸しなのです。とすれば、ドン・ルマータ、たたかうべき悪はそのうちのどれなのですか?」プダフは悲しげに聞き手を眺めまわした。「悪を無くすことはできません。この世の悪を少なくすることはどんな人間にもできません。人間にできることは自分の運命をいくらか良くすることぐらいですが、それですらかならず他人の運命を悪くするという犠牲をともなうのです。残忍さの程度はさまざまでも、国王はいつもいるのだし、粗暴さの程度は違っていても男爵は男爵として生きつづけますし、そして民衆はいつまでも無知で、抑圧者に対しては感嘆を、自分らの解放者に対しては憎しみをいだき続けるものなのです。それというのも、奴隷は、たとえそれがいかに残忍な主人でも、自分らの主人の方を、自分らの解放者よりもよく理解しているからです。なぜなら、どんな奴隷でも、自分を主人の立場に置いて考えることはたやすいのですが、自分を無欲な解放者の立場に置いて想像することは非常に困難だからです。人間とはそういうものですよ、ドン・ルマータ、それに、私たちの世界はそういうものなのです」

「しかし、世界はたえず変わっていますよ、ドクトル・プダフ」とルマータは言った。「国王なんかいなかった時代だってあるのですからね……」

「世界が永遠に変わりつづけるなどということはありません」とプダフは反対した。永遠のものなんて何もありません。変化にしても同様ですよ……私たちは完全さというものの法則は知りませんが、その完全さは遅かれ早かれ達成されるでしょう。早い話が、私たちの社会の仕組みをごらんください。これこそ、幾何学的に整った、見た目にもきちんとした制度ではありませんか!一番下に農民と手工業者がいて、その上に貴族がいて、さらにその上に僧侶がいて、一番上に国王がいるのです。驚くほどうまくできた、安定感のある幾何学的な秩序ではありませんか!天の宝石細工師の手になるこのようにみごとな水晶であってみれば、一体そのなかの何を変える必要がありますか?ピラミッド型の建物以上に安定した建物はありません。そんなことは、いくらかでも知識のある建築家なら誰でも知っていますよ」プダフは念を押すように親指を立てた。「袋からこぼれ落ちる穀粒は、たいらな層にはならずに、いわゆる円錐型のピラミッドになります。おのおのの穀粒がお互いにつかまりあって下に落ちないようにしているのです。人間も同じことです。人びとも全体として何かしら完全なものでありたいと望むのなら、お互いに支えあって、必然的にピラミッドのようなものを作らざるをえないのです」

「まさかあなたはこの世界が完全なものだとは真面目に考えているわけではないでしょうね?」とルマータは驚いた。「ドン・レエバに会ったり、監獄を経験したからには……」

「若いお方。それはもちろんです!この世界の多くのものが私には気に入らないし、多くのものが変わって欲しいとは私だって思いますよ……だけど、どうしたらいいのです?上の人が考える完全さは、私が考えるものとは違うのです。木だって、もしも動くことができたなら、木こりの斧から全力で逃げ出したいと思うでしょうけれど、現実には、その木が自分は動けないと嘆いてみたところで何の意味がありますか?」

「もしも宿命を変えることができるとしたら、どうします?」

「そんなことができるのは天の力だけですよ……」

「しかし、もしあなたが神になったと仮定したとしたら……」

プダフは笑い出した。

「もしも自分が神だと仮定してもかまわないなら、私は喜んで神になりますよ!」

「だけど、もしもあなたが神に助言できるとしたら?」

「あなたはなかなか想像力が豊かですね」プダフはうれしそうに言った。「それは良いことです。あなたは読み書きができますか?それはすばらしい!私は喜んであなたとおつき合いしますよ……」

「お世辞は結構ですよ……ところであなたは全能の神に一体何を助言しますか?あなたが、これこそすばらしい立派な世界だ、ということができるようになるためには、全能の神は何をしたらいいのでしょう?……」

 プダフはわが意を得たりといわんばかりにほほえんで、椅子の背にそりかえり、腹の上で両手を組み合わせた。キーラはむさぼるようにプダフを見つめていた。

「わかりました」とプダフは言った。「私だったら全能の神にこう言ってやります。『神様、私はあなたの計画を知りませんが、もしかすると、あなたは人間を善良で幸せなものにしようとは望んでいらっしゃらないようですね。ですが、それを望んでください!それは簡単にできることです。人々にパンや肉や酒を思う存分与えてください、人びとに牛や衣類をふんだんに与えてください。そうすれば飢えや苦しみがなくなり、人々を分けへだてている垣根もすべてなくなってしまいます』」

「それだけですか?」とルマータはたずねた。

「それだけは不足だというのですか?」

 ルマータは首を振った。

「神様はあなたに答えるでしょう。『そんなことをしても人々の利益にはなるまい。なぜならば、なんじの世界の強き者たちは、私が与えたものを弱き者から取り上げてしまって、弱き者たちは相変わらず貧しいままにとどまるだろうからだ』」

「私は弱きものを護るように神様にたのみますよ。『冷酷な支配者を啓蒙してくださいませ』と私は言いますよ」

「冷酷さは力だ。支配者は冷酷さを失うことによって、力を失ってしまうのだ。そうすれば、ほかの冷酷な連中が彼らにとって替わるだけなのだ」

 プダフの顔から微笑みが消えた。

「冷酷な連中を罰してください」と彼は力強くいった。

「強き者が弱き者に冷酷さを示すことができなくなるようにしてください」

「人間は生まれたときはみな弱い者なのだ。まわりにそれ以上強いものがいなくなったとき、その人間は強い者となる。強い者のうちに冷酷な者が罰せられるようになれば、弱い者のうちから強いものが出てきて、彼らにとってかわる。そして、その人間たちも冷酷になる。だとすれば、すべての人間を罰しなければならなくなる。私はそんなことは御免こうむる」

「神様、あなたは本当によく見通していらっしゃる。それなら、あっさりと、人々がすべてのものを手に入れて、しかも神様からいただいたものをお互いに奪い合わないようにしてください」

「それも人々の利益にはならないだろう」ルマータは溜息をついた。なぜならば、人々がすべてのものを、労せずして、無料で、私の手から受けとるようになったら、人々は労働を忘れ、生活の意欲を失い、私の家畜になりはててしまって、私はそれらの家畜に今後永遠に食料と衣類を与えつづけて行かなくてはならなくなる」

「一度にすべてを与えなければいいのです!」とプダフは熱っぽく言った。「徐々に、少しずつ与えればいいのです!」

「少しずつでいいというのなら、人間たちは自分の力で必要なものを手に入れていくだろう」

 プダフはきまり悪そうに笑い出した。

「たしかに余り簡単なことではなさそうだ」と彼はいった。「いままで私はそのようなことは考えてもみなかった……どうも種が切れてしまったようですね。しかし」と言ってプダフは身を乗り出した。「もう一つの可能性があります。人々が何よりも労働と知識を愛するようにしてください。労働と知識が人々の生活の唯一の生き甲斐になるようにしてください!」

 そういうことはわれわれがやはりすでに試みようとしたことだ、とルマータは考えた。大衆的な催眠による暗示、プラスの方向での精神変革。赤道上の三個の人工衛星からの催眠放射……

「それもできないことではない」とルマータは言った。

「しかし、人類からその歴史を奪ってしまっていいものだろうか? 一個の人類に別の人類をすげかえていいものだろうか? そのことは、地上から人類を一掃し、その後に別の人類を創りだすのと同じことではないだろうか?」

 プダフは額にしわを寄せて、黙って考えこんだ。ルマータは待っていた。窓の外では再び荷馬車が悲しげにきしり始めた。プダフは小声でつぶやいた。

「それなら、神様、私たちを地上から一掃してしまって、改めて、もっと完全な人びとをおつくりください…… でなければ、いっそ、私たちをこのままに放っておいて、私たちに自分の道を歩ませてください」

「私の心は憐れみでいっぱいだ」とルマータはゆっくりと言った。「私にはそんなことはできない」

 そのとき彼はキーラの目を見た。キーラは怖れと期待の入り混じった目を彼に向けていた。

 

世界SF全集 24 早川書房 絶版 1970年初版より